2005-10-28

M-net 2005-10-28

格差

 T大学のA学長と会う事になった。
 私の友人でT大学の教授をしているCさんがいる。Cさんに学長はどんな人ですか?と事前に教えて頂いた。「ガラが悪いと言うか、時にはバカヤロー呼ばわりもする。人物は悪くないが…」
 さて当日A学長と会った。確かに顔は強面である。恐る恐る話を始めていくと話が合う。考え方も一致する所が多い。「このT大学を改革していきたい。60歳以上の教授は発言するなとも言っている…。魅力ある大学づくりにお力を貸して欲しい…」
 なかなかに魅力ある学長である。もっと突っ込んで話もしたくなる人物である。
 なぜC教授は学長の事を悪く言ったのか考えてみた。
 まずA学長は、先進国から発展途上国まで広く海外を飛び回っていた。そして自分の専門分野についても深く研究して来た様だ。つまり幅と深さが格段と広く、大きい。こんな人を評価するのは、よほど自分が大きく、深くなければ不可能である。C教授も立派な教授であるが、改めて「格差」を思い知った。


案ずるよりも生むが易し

 当社に28年間勤めて頂き、又おじにも当たるNさんが90歳でお亡くなりになった。通夜と告別式で遺族、親族代表として二回挨拶をして欲しいとの事。
 弱ってしまった。同じ事を二回言うのはまずいし、どうしたら良いか、久しぶりに考えてしまった。通夜では故人を称え、告別式では面倒を見てくれた家族にスポットを当てようと考えた。
 当日の通夜での挨拶は、知る限りの天寿を全うした故人を褒め称えた。
 翌日の告別式では、90歳の友人代表のお別れの言葉と孫の御礼の言葉を引用して、故人に代わり御礼の言葉を家族に伝えた。(故人は娘夫婦と妻に先立たれ、孫夫婦が面倒を見てくれていた)
 事前に考えていた事ではなく、その場の雰囲気や、友人知人の行動や顔を見て自然体で話をした。案ずるよりも生むが易しであった。

 日頃考えている事、思っている事、やっている事が一番大切な時に出てくるとよく人には話しているが、全くそうであった。日頃の大切さを身をもって知った二日間であった。