2003-07-28

M-net 2003-07-28

区別、選択

 何が大事か、どれが緊急か、今何をなすべきか…。日々意識するかしないかは別として毎日選択をしているが、近頃おやっと思う事が多い。特に若い大学生などの選択を見ていると、考えさせられてしまう。「面接を○○日に行います」と話すと「バイトでムリです」…。授業ならいざ知らず、友人も教授もみな同じである事がそんな風に大事な事を区別できなくさせてしまうのか?
 私の体験に基づく区別、選別の仕方を2通り記してみます。

①本物とニセ物の区別
 20代の頃、文化財の判定のお手伝いを4年間させて頂いた。どれが本物かニセ物か区別が出来ない。本物と思えばみな本物に見える。ニセ物と思えば皆ニセ物のような気がする。
 ある時委員長に「本物とニセ物」をどう区別、判断したら良いですか?と質問した。すると委員長は、「絵でも、刃でも、人間でも、自然でも、いつも本物に接しているとニセ物はすぐ分かるが、いつもニセ物ばかりに接していると、何を見てもニセ物と思い区別が出来なくなってしまう。いい目を持ちたかったら、出来る限り本物と接しなさい。目を養う事だ…」との事。以来可能な限り本物と接してきたが、まだまだ目が養われたかどうか自分自身不安である。
 しかし今もできる限り本物と接する(一流と言われる人と接したり、世界の人々と直接接したり、美味しい食事を時には食べたり、芸術にも接したり…)努力をしている。待っていては誰とも会えず、自らがチャンスをつくり、場をつくっている。

②自分で判断する為の情報収集
 TV、新聞、雑誌など一方的に与えられる情報だけを情報と思い込み、自分は情報を持っている、判断は正しいと思っている人も多い。誰もが得られる情報は持っていなければならないが、自分の足を使い、自分の目で、耳で得られる自分だけのオリジナルな情報も持っていないと、選択が間違った時、原因を相手のせいにしたくなる。自分の判断基準、価値基準、区別や選択のモノサシを持っていると、もし間違っても原因自分論で、同じ失敗は二度としない。
 目先の事だけで判断してしまうと、大きなものを見失ってしまう危険が多い。そして一度失った「チャンス」は取り戻す事が出来ない。

③要は、 「本物に接する努力」と「マニュアルに頼るのではなく、チョット先を考えた、自分の選択の基準を持つ」事が必要である。全てが同列ではないので、自らの頭で考える区別、選択がその人の評価となってくる。今はデジタル化と呼ばれているが、最後は人と人、人間力が問われている。