2004-09-18

M-net 2004-09-18

心より感謝

 私が東京での学生時代(4年間)にお世話になった下宿のおばさんが亡くなった。80歳である。
 田舎(静岡)より初めて東京へ出て右も左も分からない。どこに住むか迷っていた時に、私の母の妹さん夫婦が「私の家に下宿しなさいよ」「部屋は狭いので、庭が少し空いているから、そこに小さな家(小屋)を建てて住んだら…」「食事は朝、夕の2回は面倒見ますから…」との事で、大学生活の4年間お世話になった。

 朝は早かったり遅かったりで、早い時には前日の夜食事を作ってくれてあり、朝寝坊の時には朝食が居間に出来ている…。夜は21時以降がほとんどで、どんなに遅くても夕食を作ってくれていた。友人が私の所に来れば、二人分、三人分と食事を出してくれる。

 私が今こうして日本全国や世界を飛び回って活動できる基礎を作ってくれた恩人である。不平を一回も聞いた事がない。それに甘えた4年間であった。
 3月にフジTVの『とくダネ!』で私の事が放映された時、泣いて喜んでみてくれたと入院中見舞いに行ったとき話してくれた。その時も「定久さん、良かったね、すごいね。立派ね。こんなに成長して誰よりも嬉しい」と涙で喜んでくれた。
 こんな陰で私を育ててくれた人がいて今の自分があると、通夜、告別式を通してつくづく感じ深く感謝した。


偶像化

 おばさんの通夜、告別式でビックリした事がいっぱいあった。

1. Aさんから「アメリカのロサンゼルスにいる息子が、今春現地のTVで『とくダネ!』を見て、知っている人が国際的に活動している事を目の前にして「すごい人だ」と国際電話があった。」
2. Mさんはある経済誌に私の人づくりの記事が出ていてビックリし、「会ったら話をしたいとずーっと思っていました…。」
3. Nさんは「定久さん、奨学金を出している新聞記事を見てすごいと思いました…」「私にも奨学金を下さい…」
4. 別のNさんは、大きな小学校の教頭先生。前任の小学校の校長が、「南富士の杉山さんの人づくりの話をどうしても聞きたい。講演会をしたいが、杉山さんを誰か知らないですか…?」「私はいとこです。話しをしておきます」
5. Tさん17歳。高校3年生との事。私が帰ろうとした時、慌てて私の所にやって来た。「『とくダネ!』見ました。私もぜひTVのように育てて下さい。就職させて下さい。改めて履歴書を持っていきますので…」

 嬉しいやら、恥ずかしいやら、責任を感じるやら。当たり前の事がTV、新聞の第三者を通して客観的に伝わると、何か偶像化されてしまう。